白山神社の起源についてはさだかではないが、当地に残る伝説では、次のようになっている。
当地に住んでいた阿黒王(蝦夷の親分)の一族を平定に来た坂上田村麻呂が、苦戦を続けた時に必勝祈願の地にしたのが、始まりとされている。当時阿黒王が陰れたとされる洞窟が、白山の西方4km位の所に阿黒岩の地名で残っている。
この白山神社の御神体が女神像である。この女神像について、次のようなことが言われてきた。あまりにも尊いので平民が見ると目がつぶれる。従って、法印などごく限られた人だけが拝観をした。また、この像の材は桐であると信じられ、はき物に桐は使われなかった。
時を経て、昭和29年5月白山の南側斜面中腹にある構え森の台地で経塚が発見された。秋田県文化財専門委員、奈良修介氏等の調査が行われ、12の遺物が確認されている。
この調査の後、奈良氏が地元民から聞いた白山神社の御神体を拝観し、鑑定された。その結果、材はケヤキであること、東北ではめずらしいなた彫りで、一本の立木像である。製作時期は平安末期ではないかとされた。
追って昭和50年秋田県立博物館が建設され、その目玉となったのが白山神社の女神像の模擬像である。
更に時を経て平成21年2月21日、NHKハイビジョンによる白山神社の女神像の撮影が行われ、同年3月20日全国に放送された。(山田の語り草14集より)