松岡寺跡から北方に平場が二段に続き、人為的に外周を削った楕円形の丘が松岡経塚、通称「構え森」である。
昭和二十九年、地元民が構え森の最頂部から経筒二点を発見。その後、秋田県の専門委員等による発掘調査が行われ経筒三点(残欠を含む)、陶器壺等四点、刀子三点、洪武銭一枚が発見された。
この経塚から発見された経筒には銘文が線刻されており、「寿永三年(1184年)大壇主尼殿」「建久七年(1196年)藤原女人」などの銘がみられる。これらの埋蔵文化財は、秋田県を離れ現在、京都国立博物館に所蔵されている。
平安時代の末期、このひなびた松岡の郷になぜ都の文化が存在し得たものか、今後のさらなる研究や歴史の解明が望まれる。