八幡神社は山田三村社の一つで、文政四年(1821年)に建立された。
江戸時代の慶長年間に郷村制により、山田の南部二十二集落が山田郷の守護神として、堂ヶ沢館にあった八幡様を六日町集落に移して祀った。
八幡様は、応仁天皇を首座として祀り弓矢の神、つまり戦いの神として古来各地に祀られた。
秋田県では、一七七社祀られている。
太平洋戦争が始まって、多くの若者が村を出で立ち御国の為に身を挺するに到った。
銃後を守る人々は、吾家の子息、夫の武運長久と御国の勝利を祈願するため、八幡様はひきも切れぬ参詣人で賑わった。
この八幡様には獅子頭があり、昔氏子の有志が獅子舞をして村を回った。
獅子舞の起源は、修験道の行者が神前で舞ったのが始まりとされている。
この獅子頭は、山田八幡神社に納められていたもので 、昭和30年代までは旧暦8月に獅子まわしが行われていた 。
木造漆塗で頭部内側には「永和二年 丙辰六月八日 生年六十六 貞遍作之 」の銘文があり南北朝時代の作であることを示し、県内最古の獅子頭である。
塗り直しを経ているものの、制作当初に書かれたとみられる銘を写したものであることが赤外線調査によって確認されている。
貞遍は吉野の僧と伝えられる。
木製の鉾には、十一面観音が取り付けられた懸仏と翁の面が取り付けられている。獅子頭と同じ人物が制作したと伝えられ、獅子まわしの際に先導役
である「面かぶり」がつけて歩き、獅子が荒れた時、その面で獅子を撫でまわしてなだめたという。
神秘的な霊験宿る獅子頭に願を託して、五穀豊穣と悪魔祓いを祈願した。